曲の分析ってどのくらいやればいいの?
曲の分析はほどほどが良いと思っています。その理由を解説します。
ピアニストのシーモア・バーンスタイン氏が
映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」の中でこのような事を言っていました。
「曲を分析しすぎてはいけない。神秘性が消えていく」
映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」
とても共感できます。私にもあえて弾かない、分析しない、手をつけない好きな曲があります。
「この曲が弾けるようになりたい」ではなく、
「この曲は弾けるようになりたくない」という願望。
一般的に、練習すれば曲は弾けるようになります。しかし、弾けるようになっていくにつれ、
シーモア・バーンスタイン氏が言ったように、神秘性が消えていく感じがあります。
その理由の一つは、「音が見えてしまう」ことだと考えられます。
音が見える?
「音が見える」とはどういうことか、解説します。
見えないものが見えるとか、怪しい話ではありませんよ。
次の3つのプロセスで、音が見えてきます。
〇音符を覚える。
曲を覚える時に、譜面が無い場合は、譜面を作ります。譜面には音符があります。その音符を覚えていきます。
〇指の形を覚える。
弦を押える時の、指の形はたくさんあります。その曲独自の指の運び方も出てくるでしょう。それを覚えていきます。
〇理論的に覚える。
例えば、Cメジャー(ハ長調)の曲で、コードがG7からAmに動くとき、「コードか5度から6度に行く」と、理論的に解釈できます。
最終的にすべての音が、指の形や、動き、数字など、視覚化できるものになっていきます。

最初はただの音でしたが、分析していく途中で、視覚の情報が追加されます。
人間の感覚の中で、視覚はとても強く、視覚によって音が違うものとして変化していきます。
一般の、音楽のリスナーは、音楽を、見えるものとしてはとらえません。出てくる音を、ただ楽しむことが出来ます。
音楽を聴いて、風景や、色が見える、などの共感覚とは別の話です。風景や色が見えるのは良いことです。

まとめ
曲をマスターするためには、最低限の分析は必要です。分析することが楽しい人は、どんどん分析してください。
しかし、40年ほどギターを弾いてきた、自分の感覚では、ある程度弾けるようになったら、分析しすぎないことをおすすめします。音をたのしむために。